青色本のイメージ

哲学書

L.ウィトゲンシュタインの『青色本』で言語ゲームから思考力を養う

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こんにちは、ゆういちです。

 

僕は関東近郊のとある街で生まれ育ちました。

 

穏やかな両親に育てられ、静かな環境で
とりわけ不自由もない暮らしをしていました。

 

だから、なんの不満もありませんでした。

 

ただ、

なんとなく「このままでいいのかな?」という
想いをずっと抱えて生きていました。

 

しかし、自分ではどうすることもできません。

惰性に近い形で時間を浪費していました。

 

そんな僕が人生の転機を迎えたのは、
ちょうど大学を卒業する頃でした。

 

その時に手にした本が、

 

ルートウィヒ・ヴィトゲンシュタインの『青色本』

読み込んだ青色本

 

これには衝撃的を受けました。

スゴ本では「論理哲学論考」について書かれて

いましたけれど、

ウィトゲンシュタインにこれから近づこうと

考えるのであれば、この『青色本』から

入るのも一つだと思います。

 

 

世間では「考える」ということがいわれてます。

 

でも、僕は、

 

「どういうことが考えている状態なのか?」

 

「考えるってなんだ?」

 

「そもそも考えて生きてきたつもりなのに」

 

そんなことを思っていました。

 

 

けれども、

 

自分が考えているようで

ただ悩んでいただけだということを、

『青色本』に強烈にぶつけられました。

 

 

この『青色本』を開いて1行目から

僕は頭が混乱してしまいます。

 

ガーーーーー

 

あなたが現在、

 

「自分の頭で考える」

 

ということを真剣に考察していきたいと思うのであれば、

この『青色本』はきっとお役に立てると思います。

 

少し長いですが、『青色本』について

僕なりの関わり方をお伝えしていきますので、

最後までお付き合いをお願いします。

 

 

では、これから

僕が衝撃を受けた1行目からお話ししていきます。

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「語の意味とは何か。」言語の限界に迫る名言の数々

迷路のようにわからない

『青色本』のまさに1行目には、

 

「語の意味とは何か。」

 

とあります。

 

何が何やらわからないので、

とりあえずちょっと読み進めてみると

そのあとに続く内容も意味がわからない・・・。

 

「え?こんなの無理じゃん」

 

僕は率直にそう思いました。

 

読み進めても冒頭の疑問に対する直接的な
回答が提示されないまま、

話はどんどんと深くなっていきます。

 

冒頭の部分を何度も何度も読み返し、

メモを書き込んで自分なりの解釈を

試みても、さっぱりわかりません。

 

「こんな本があったのか・・・。」

 

もう読み進める気力はありませんでした。

 

IQ200の人に読み方を教わりパラドックスに気づく

少しずつわかってくる

『青色本』は僕にはとても難しいもので、

もっと気楽に読める本に逃げ込んでしまっていました。

 

そんなある日、

今現在、僕が師事している方と初めてお会いしました。

 

その方はIQが200あるらしくメンサ会員にも

なっている人で、

 

もしかしたら『青色本』を読んでいるかもしれない

と思った僕は、

素直に読み進められないことを伝えました。

 

 

すると、運良く

その方から読み方の補助をしてもらうことができました。

 

 

「青天の霹靂とはまさにこういうことかもしれない」

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それくらいに思えるお話を聞けたので、

僕はそれから『青色本』に再挑戦することにしました。

 

 

初めて『青色本』の言わんとすることの片鱗に触れて

 

「なんという深い考察をする人なんだ」

 

とヴィトゲンシュタインに一気に惚れ込みました。

それでもやっぱり難しい青色本の言語ゲーム・・・

再び未知の世界へ

恩師に解釈の手助けをしてもらったとはいえ、

それは冒頭のほんの一部分のことだけでした。

 

 

読み進めると本当に難しい。。。。。

 

 

でも、その難しさに浸っていくのが

本当に気持ちがいい。

 

ヴィトゲンシュタインの狂気ともいえる

考察の深遠さに触れることと、

 

それを一生懸命に追いかけようとすることで、

 

自分が少しずつ思慮深くなっているのがわかる。

 

そんな感覚になってきます。

 

読書でこんなに自分が変わっていくことを
感じ得られたのは、

おそらく初めてのことだったろうと思います。

 

 

ヴイトゲンシュタインに置いてきぼりにあう

読み進めるとやっぱり難しい

僕の解釈の追いつかないまま

ヴイトゲンシュタインは考察を深めてゆきます。

ヴィトゲンシュタインの顔

 

『青色本』は、どうやら講義録のようで、

その表紙が青かったことから名付けられました。

 

つまり、製本を意識していない書物。

 

中は各章に見出しがありません。

 

まともな区切りもなく、

 

ただひたすらに「語の意味とは何か。」から派生する

 

息苦しいまでの考察が続くのでした。

 

 

本の中では、言葉の

 

「定義」

 

「文法」

 

「解釈」

 

「表現形式」

 

などが目まぐるしく交錯して、

解説を読んでいるようで答えから遠ざかっている

かのような感覚に陥ります。

 

 

言葉には複数の意義があり、じゃあその解釈は

どこからきたのか?

 

話した時と考えた時では違ったものになるのではないか?

 

このような考察が延々と行われます。

 

もう、訳が分からなくなりました。

 

考えないとわからないものを考え抜いて得られたもの

喜ぶ女性

訳が分からなくなって、

少し遡って読み返し、

 

 

区切りがないので更に分からなくなり、

自分の中で一旦定義をして読み進め、

弾かれてまた元に戻る。

 

 

 

 

これまでの読書で、こんなことを経験したことはありませんでした。

 

 

ただ、

何回も何回も何回も、

本当に何回も繰り返して読んでいくうちに、

 

 

少しずつ分かるようになってきました。

 

 

この経験によって僕は

 

 

●考えるとは意味の分岐を見つけること

●分岐を見つけたらそれぞれを検証すること

 

ということを学びました。

 

 

そして、

 

 

分からないものを必死でわかろうとすることで、

自分が少しずつ良くなるのだということも分かりました。

 

 

 

今でも読みこなせたという感覚が持てないでいますし、

時折読み返してもよく分からないままの部分もあります。

 

ただ、

 

●ヴィトゲンシュタインの思考に触れること

●自分で実際に考えること

 

 

という2つの面で、頭に一生懸命に汗をかき

思考が開けるという経験ができました。

 

 

 

文中に胸のすくような名言はありません。

 

ただひたすらに考察が繰り広げられます。

 

 

そして、『青色本』そのものが名言かのように

思えてきてしまう必読の本です。

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